よく、スポーツをやっていると次のように話す人、いませんか。
「○○は天才だから。俺らには到底かなわないな」
本当の天才なんて、そうはいない
少年サッカーで子供がいうのはまだしも、指導者やコーチでも平気で口にしていてビックリするのですが、みなさんはいかがでしょうか。
そもそも天才って、ものすごい低い確率でしか存在せず、そこいらの地元で毎年何人も出てくる話ではありません。毎年、アインシュタインや超一流の芸術家、スポーツ選手が小さな町から輩出していたら、ビッグニュースですよね。
私は学生のとき、スポーツジムでアルバイトをしていて様々なお客さんとコミュニケーションをさせていただきました。幸い、私のいたジムはアスリート志向の方が多く、奥深い話を聞く機会が一般の人よりはあったのですが、その中でも特に盛り上がったのが
「○○は天才だから」はそんなに口にするもんじゃないよね。ということ。
たしかに、筋肉の質の違い、骨格の違い、育った環境、運動神経、言葉では説明できないセンス。これらは人それぞれ違います。ですから、誰でも一つのプレーを同じようにできるとは限りません。
しかし、「天才」や「才能が違う」という言葉で片づけてしまうということは、自己否定や自己分析をやめ、探究することをしない。つまり、成長しない。ということ。子供が頻繁に口にしていたら、大人がきちんと説明してあげたいですね。
私は抜群の運動神経があったわけでもなく、サッカーも目立つ存在ではありませんでしたが、人よりもサッカーに時間を費やし、人よりも研究してきたつもりです。そのご褒美が、沢山の出会いであり、練習試合で当時Jリーグに在籍していたブラジル代表のフッキ選手とのマッチアップだったと思っています。
ケガで高校3年間のほとんどを棒に振った私がいうのもなんですが、諦めずに頑張れば得るものはたくさんあるのではないでしょうか(^_^)
では、話を戻しますね。
一般に「天才」といわれる人は、人に聞かれたときくらいしか「努力した」とは言いません。でも実際は、ものすごい努力と研究をしているのです。ただ、その努力を人に見せないだけで、「当たり前で普通のこと」と思い、その中で「楽しんでいる」のです。
身近な例としては、勉強で学年トップの子が「いや、そんなに勉強してないよ。」と言うのに似ているかもしれません。
近くに上手な選手がいたら、「○○は天才」という前に、「○○は何を考えているのか」「○○はどういったところを意識しているのか」観察したり、仲良くなって『考えていることを聞き出す』『一緒に練習する』ことができればいいですね(^_^)
Impressions of the LIVE training session【5:39】