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文武両道。健全な青少年を育成するために掲げる言葉として有名です。この言葉、単に『学校の勉強と部活の両立』という意味合いで使う大人が多いと感じますが、果たしてそれで十分なのでしょうか。
そこで今回は、サッカーの上達を例に挙げて『文武両道』さらには、個人的によりよいと思う『文武不岐』について書きます。
スポーツってそもそも・・・
サッカーは有名なスポーツのひとつですが、スポーツってそもそも誰が何の目的で日本中に広めたのでしょうか。結論からいいますと、
第二次世界大戦後のアメリカが国民に政治・経済・社会問題に関心を持たせないことを目的
とした愚民化政策、3S政策のひとつとして広めました。なお、この3Sは
Sport(スポーツ=プロ スポーツ)
Sex(セックス=性産業)
の頭文字を表しています。
この3S政策、どれも人間の欲に入り込んで大衆をコントロールするのに非常に有効で、しかも大きなビジネスにも繋がるため、先進各国で大成功を収めています(2014年現在)。
サッカーの上達を追究すると・・・
そんなスポーツのひとつであるサッカーは、本格的に上達を追究していくと、私は
サッカー=武道
だと感じます。たとえば『楽しく』『なんとなく根性だけで』体を動かす程度の「スポーツ」感覚では、「武道」の『型』のように深いところまで追究していけないですし、精神面でも大きな差が生まれると思います。
本来、文と武は相互関係
そして、武道である(!)サッカーを追究していく過程では「文」が必ず必要になってきます。その「文」はサッカー上達でいうと、肌感覚を大事にしつつ、自分で調べて(リサーチ)論理的思考で分析するなど非常に知的な活動で、戦術を理解するために必要な要素でもあります。
その一方で、いわゆる世間の『文武両道』は、
頭に入れる勉強=インプット
と
日々の行動=アウトプット
が一致していません。なので、
・勉強ってつまらないよね。
・こんなの学んで、何か役に立つの?
と子供が感じるのは、ものすごい正解だといえますし、私は大人になってチビたちの教科書を見ても思います。
目指すは、
インプットとアウトプットを一致させる、『文武不岐(ぶんぶふき)』ではないでしょうか?
サッカー上達を追究するほどいわゆる『文武両道』は難しい??
サッカーの上達を追究していくほど『学校の勉強と部活の両立』は難しくなると思います。それは時間の制約があるからです。(もちろん小学生と高校生のように自由に使える時間には差があるので一概にはいえません。)そのため取捨選択をしなければなりませんが、私は
サッカー上達に大きな力を注ぐにしても、学校の勉強として最低限「読み・書き・そろばん(算数・数学)」の力は必要
だと感じます。それは知的活動「文」の基礎だからです。
そして、この知的活動の「文」を、動きのある「武」と一体化して回していく(すなわち『文武不岐』)していくことが非常に教育として重要なことだと感じます。
たとえプロになれなかったとしても、この『文』と『武』のサイクルを回す過程で培うものは応用がいくらでも利き、将来の人生で非常に役立つからです。
おわりに
就職に学歴は関係ないとは言いませんから、まったくできなくてもいいとは考えていません。
しかし、
サッカー上達のように、スポーツを「武」としてとらえ、『文武不岐』の精神でトコトンこだわって追究することは、長い目でみると、単に『学校の勉強と部活の両立』をするよりも得るものが非常に多いと思います。
スポーツは愚民化目的である3S政策のひとつですが、
大人・子どもともに、『文武両道』を超えた『文武不岐』で成長していきたいですね(^_^)